自衛隊での思い出〜前期教育編⑩〜 ついに修了式、涙の解散式。班長同期との別れ。
今回で自衛隊前期での思い出〜前期教育編〜は最後になります。
6月下旬、検定試験も終え、やることと言えば、銃の整備、装具の整理、居室の清掃などです。
そして区隊長から後期教育の任地場所が発表されました。
希望の任地に配属された人もいれば、全く希望通りに行かない人もいます。
43人中20人くらいが普通科でした。
そしてわたしの配属先は第一空挺団!と思っていると、悲劇が起きました。
空挺行きが白紙になったのです。
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区隊長「申し訳ない、空挺団への枠がなくなった」
「え?」
区隊長「九州管区の新隊員は、なるべく九州に残すようと」
「空挺にはいけないってことですか?」
区隊長「本当に申し訳ない。しろろ後期の配属先は、第2希望の普通科連隊になった」
「ほんとうですか!?それならせめて西普連への配属を希望します!!」
区隊長「……西普連の枠も残ってない」
(ガーーーーーーーーーーーーーーーーーン)
(頭真っ白)
区隊長「こればっかりは上の決定だから…本当に申し訳ない。お前を空挺に行かせてやれなくて。部隊配属後空挺を希望してくれ」
「……わかりました」
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空挺行きが白紙になったわたしは何も身に入らなくなりました。
(空挺に行くために頑張ってきたのに…)
夜間トイレで一人メソメソ泣いていました。
「人生って思い通りにはいかないよなぁ」
ぐったりなっているわたしを見て、助けてくれたのはやっぱり班長や同期でした。
班長「しろろ、空挺団に絶対行けなくなったわけじゃない。後期に配属された部隊からでも希望すれば行けるんだから大丈夫だ。それに他の部隊も経験しておいて損はないと思う」
班長の言葉は優しい。
普段はすごく厳しいけど、班員が悩んだりしていれば、勤務外でも気にかけて大丈夫か?と心配してくれる。
自衛隊をやめ民間で働いていますが、この時の班長ほど、部下思いな上司に出会ったことがありません。
そして同期からの励ましもあり、だんだんと前向きな気持ちになっていきました。
「そうだよな。空挺団にいけなくなったわけじゃないないよな。後期訓練の部隊も比較的練度が高い部隊みたいだし頑張ろう」
修了式
修了式前日の夜。
班長がお菓子を持ってきて、今日で最後だからとみんなでおかしパーティをしました。
前期の同期は、後期に行くと職種も任地も違うのでほとんど会う機会はありません。
この3ヶ月は刺激的だった。
今までの人生、常に逃げ続けていたわたし。
少しは自分が変わったような気がした。
そしてついに修了式の日が。
わたしは区隊で一番優秀だったとして、表彰を受けました。
今まで劣等感にまみれて生きてきたわたしが初めて自分頑張ったなと思えた瞬間でした。
そして修了式も終わり3ヶ月間苦楽を共にした同期との最後の1日。
修了式が終わっても、同期と最後の1日なんて考えられませんでした。
また明日も、起床ラッパと共に慌ただしく起きて、点呼取って、隊列組んで食堂行って、朝ごはんかきこんで・・・。
当たり前のようにそんな気がしている。
でもそれはもう二度とない。
わたしが今日で最後かと認識したのは解散式でした。
班長が2区隊1班を集合させ、最後の言葉を言う。
あの厳しかった班長が、わたしたちを前にして涙ぐんでる。
「お前らなぁ…これで最後かと思ったら…」
「3ヶ月間お疲れ様。初めはどうしようもない奴らだった。オレもどう指導していいかわからなくてイライラもしててお前たちに当たったりしていた。だけどお前たちは必死にオレたちに付いてきてくれた。本当に感謝している」
「この3ヶ月間いろんなことを学んだと思う。だけど班長もお前たちからたくさんのことを学ばせてもらった」
「部隊に配属されれば、ほとんど会うことはなくなるが、この全員は繋がっている」
「辛いとき、悩んだときは迷わず連絡してこい。班長はずっとお前たちの味方やけんな!!」
全員「はいッ!!!」
全員泣いている。同期同士抱き合った。
「以上を持って!!」
「2区隊1班の指揮を解く!!!」
「分かれッ!!」
「班長に敬礼!!!」
ザッ!!!!
「直れ!!!!!」
全員「ありがとうございました!!!!!」
(あぁこれでついに最後なのか)
たった3ヶ月ですが、何十年も一緒にいた友達と離れるような感じがしました。
3ヶ月長かったようで、短かった。
かつてこんなに濃い3ヶ月があったのかと思う。
いやなかった。
そして迎えのバスが駐屯地に。
同期皆、窓から乗り出し「がんばれよおおおおおおお」と言って去っていく。
制帽を振る。この時の別れは今でも鮮明に覚えている。
同期がそれぞれ去っていき、ガラリとなっていく。
わたしのバスはみんなより遅れて到着した。
3ヶ月間、お世話になった駐屯地。ここに来ることはもうない。
そして、後期の教育に入って行きます。
続く?